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プロフィール

松風夢之進(まつかぜゆめのしん)

Author:松風夢之進(まつかぜゆめのしん)
生年月日 1975年9月5日
出身地 福岡県 ( 現在は江戸に在住 )
血液型 O型 
身長169㌢  体重59㎏
靴サイズ 25,5
流派 伊賀でも甲賀でも風魔でも無い博多忍者
性格 負けず嫌いなマイペース
特技 床に着いて5秒で就寝 起きて5秒で活動出来る
座右の銘 夢は背負わず抱きしめろ!!

主な活動

ロック、民謡、演歌・歌謡

和太鼓 
[奏者/講師]

津軽三味線
北村流名取[講師]

松風夢之進 事務局

出演依頼、問いあわせなど           お気軽にどうぞ!!

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第二期≪動乱≫2000年~2001年

第二期≪動乱≫2000年~2001年
ついに一人になってしまうが
ゆめのしんは夢を諦めるどころか逆に燃えて天下盗りに踊り出す。

この時期の行動力はズバ抜けていて
自主企画の全国ツアー、全国各地のレコードショップに直談判。
チラシやポスターもツアーの合い間に店まわり&街頭配布。
雨の日も風の日も雪の日も警察の取り締まりを掻い潜り
電柱にセミのようにへばり付いて貼りつけてまわった。
次ぎの日に全部撤去されたり上から違うチラシを貼られたりしながらも
手から血が出て紐に血を着いても無名な自分達を宣伝するために必死だった。

この時期の動乱の中で※トルネード、バウンドレスフライトといった名曲が誕生したのも
忘れてはならない。※セカンドアルバム収録

2000年にファーストアルバム【恥輝~はじひかり】
2001年にセカンドアルバム【恥雷~はじらい】
を発表。
無名バンドながら流通業者を通さず
事務所の力も無しに手売りと直談判で
両アルバム500枚を越えるセールス。

普通はメンバーで割るもんだが
事務所も持たずまだ売れてもいない無名アーティストが
ここまでやれたその影には
資金繰りで何度も迷惑をかけた母上殿、

親族、ご近所は勿論、
CDデッキすら持たない爺様や婆さまに売りつけ
はたまた運悪く営業にきたセールスマンへの前代未聞の逆セールス
などなど必殺商売忍の親父殿の応援あってのことである。



博多名物しぇいむれす第二期≪動乱≫
其の一、小舟は激流から滝壷へ
其の二、大海に挑む負けず嫌いなオタマジャクシ
其の三、風雲桶狭間ツアー前編
其の四、風雲桶狭間ツアー後編
※一気読みする場合はジャンプせずに下にスクロール↓

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其の一、小舟は激流から滝壷へ

2000年 ファーストアルバム『恥輝』発売
最後の一人EG暴脱退・・・しかし活動は突如加速。


2000年TOP
Vo ゆめのしん EG 暴(しぇいむれす2000構成) 

1月19日 大分フォーラス バンドパラダイスVol5

1月23日,30日,

2月06日,3月5日中津青果市場
青果市場でライブ。
吉幾三の『酒よ』『酔歌』など
演歌を中心に打ち込みと家庭用コンポがここでも活躍。
カラオケが無かったため
親父殿が昔聴いていたすり切れたカセットテープを何度も何度も
聴いて一つ一つの楽器を耳コピしてデータ-を打ち込むのが大変やった。

『兄ちゃん寒かろうが?コレ飲んで暖ったまれ』
と差し出してくれた缶コーヒーの温もりは忘れない。


2月13日,20日,27日,

3月12日浜宮綱式天満宮梅祭り

新年のライブが好評で再び神社へ登場。
九州の冬は関東の人なんかからみれば暖かいイメージがあると思うが
想像以上に厳しく関東よりも気温は下がって冷え込む。
そんな中、下駄に素肌に法被、と修業僧並の軽装備で
アタマは紫色した男が歌っていれば嫌が応でも目立つ。

この頃からリクエストを受けることが多くなり
何分打ち込みによる手作りカラオケばかりだったため
持ち曲が少なかったため『それ無いです』が多発。

時間の無い中で少しずつコツコツレパートリーを増やしていった。
当時の18番になっていたプレスリーやベンEキングなどのオールドロックは
96年の掛け持ちで働いてた飲み屋の店長から
『松風君、こういうのも歌ってみなさい』
と仕込まれたものでこの時の体験が活きている

商売の邪魔にならないようスピーカーの向きなどにも
配慮しつつもやはり苦情もあって
セッティング後に場所を変えざるをえなかったり苦労もあったが
終わった後にいつもテキヤの親分
『おう!!寒い中、よう頑張った
これでも喰え!!』
とホカホカの焼ソバや熱燗をご馳走してくれ
また次ぎも頑張ろう!!!とフルチャージされていた。



2月29日 POWER STATION ミニライブ
うちの曲は=我が子
という気持ちで産み、世に送り出しているのだが
最初にライブでやった日がその曲の誕生日となる。
覚えやすいよう語呂合わせや時期もこだわるのだが
四年に一度の閏年生まれの曲がどうしても欲しかった。

偶然にも閏年生まれの活きのいい女がいた

そこで嫌がる本人を
『オマエの誕生日祝いに歌作ったけん聴きにこい!!』と拉致監禁(笑)
仕事帰りの暴までも巻き込んで
強引にライブハウスで観客一人のミニライブを行い曲を閏年生まれの
『ONLY ONE SONG』を誕生させた
これまでに同じような理由で強引なことも結構やったが
帝王切開ばりの強引出産である。

これが口説くためなら
ちょっとドラマチックなのだが曲のためなんだから
ハタ迷惑この上ない。
当然本人は眉間にシワを寄せ唇を尖らせて
このイベントに付き合った


3月19日 大分フォーラス 

3月26日宇佐市満天閣

Thinkチャリティーコンサート

しぇいむれす史上記念すべき初チャリティー!!
なのだが・・・
この頃はチャリティーの精神なんてこれっぽっちもなく
ライブが出来るから行ってただけなので
なんのチャリティーだったか忘れてしまったが
チャリティーしたらしい。
当時POWER STATIONのちゅうさん仲介で
交通費と日当で仕事を貰っててその関係で出演したと思う


4月01日 スターコーンFM 生放送
神社で新春ライブを行ったときに
変な奴がいるって事で地元ローカルラジオに生出演。
制作中のファーストアルバムの事など離した


4月09日 浜宮大橋 椎田桜祭り
大きな橋の真ん中で桜並木と周防灘に囲まれてのライブ。
本当は
花見見物客を音楽で楽しませよう!!
という企画だったのだが
所詮花より団子、

代わりに酒や料理そっちのけで桜道を元気に駈けずりまわっていた
がきんちょ達に気に入られて
お客サンの平均年齢が10歳くらいやった。


4月23日,29日,5月4日,5日

6月4日 道の駅 豊前おこしかけ
当時の駅長さんが凄く話しのわかる人で
応援してくれチラシやポスターなんかもよく貼らせてくれた。
当時は沢山の人に見て貰いたいという気持ちが強く
今でこそ変わった場所でライブイベントやる事も珍しくないが
こんなド田舎で神社や青果市場、道の駅なんかでライブやろうとする者は
皆無で新天地を開拓していった

やはり音量の問題は大きく
苦情もきたりして
『え?こんなボリュームで?』
というくらい小さなボリュームでやらざるを得なかったり
近所に受験生のガキがいて中止になったりもしたが
おひねりをもらえることも多々あり
何気に日当の倍くらいは稼いでいたし
お客サンから『よかったよ^-^がんばってね』と差し入れを貰ったり
『あなたは人に出来ない事やってるんだから胸張って頑張んなさい』
という駅長さんをはじめ周囲の暖かい声援を貰いながら活力としていった


5月7日 大分フォーラス
遠征地の大分でもようやくお客サン第一号がついた日。

5月21日 中津競馬場LIVE
いやあQY70と家庭用コンポで仕事もらっちゃいました。
対応は穏やかではあったが
『え?こんなんで大丈夫?』
というようなイベント担当者の引き攣った顔が忘れられん(笑)

一応それなりに盛り上がってはいたが
やはり仕事レベルでは・・・ね
『こんなチッコイ、スピーカーなんて予算ねえの?』
という企業としての建前もあるし。
ちょっと躊躇するイベント担当から
満面の笑顔でギャラはシッカリ貰って帰りました。

でも音響システムはあった方がいいなと少しアタマに
インプットされるのである。


6月18日 大分フォーラスLIVE

7月16日大分フォーラスLIVE

結成から7年目のこの時期
ようやく曲が出揃って
選考の後にファーストアルバムレコーディング開始。
ちっちゃなスタジオで自主制作のインディーズ版。

仕事が終わってはスタジオへ。
レコーディングも右も左もわからない事だらけで
手探り状態。
熱い熱い夏の始まりであった


8月6日宇佐市七夕まつり
6年ぶりに出演。
大暴れ。


9月17日POWER STATION

エクリプス一夜限り復活
大フィーバー。
はしゃぎ過ぎて機材破損。
終わったあと免許取り立ての悪女の運転で恐怖のツアー。
ようやくレコディング終了


10月15日大分フォーラスLIVE
ファーストアルバム『恥輝』発売

めでたきこの日で
暴脱退。

一番最初に辞めそうで一番長い在籍となったであるが
もともとメジャー志向ではなく
『EGが楽しく弾けて美味い酒が飲めりゃあいい』
という職人タイプのギタリストで 
それでも7年間も夢物語に付き合ってくれたわけであるが
ファーストが発売されて今後の戦略を練っていた際に
当然勢力的に売り込みが必要なわけで
『とにかく仕事よりコッチを優先して攻めよう』
というゆめのしんに対し
『俺にはそれだけの意欲は・・残念ながらない』
と意見が分かれ
『お互い今後とも良い関係で刺激し合おう』
ということで脱退が決まった。


そして25歳にしてついに一人。
しかし萎えるどころか俄然奮起し
高校卒業して約七年間務めた愛しき会社を辞め本格的に活動する事を決意。
中津城を引き払い本家に戻り親のスネにかじりつき
失業保険を貰いつつ新天地を切り開いてゆく



~孤軍奮闘期~
11月18日(土) ブックマーケット中津店
ファーストアルバム発売記念店頭ライブ。

木枯らし舞う中、下駄に肌身に法被、
修行僧ばりの軽装備で歌う怪しい紫アタマの無名ボーカルに
お客サンの距離がどうも遠い。
『こねえのならコッチから行くぞ』と詰め寄った所
お客さんに逃げられ、通行人にも逃げられ
めげずに車道まで出張して車相手に熱唱。
通行車両から強引に拍手を浴びる。


11月19日(日) 大分フォーラス
ファーストアルバム発売記念ツアー開始。
あなた(EG 暴)のいない左側に少しとまどい。

11月24日(金) 小倉WOW
例によって出番前に小倉の商店街を練り歩き
店内にまで潜入しチケットを売って回る
・・・が売れず^^
自分の客が一人もいない中
ホカのバンドのお客さん相手に孤軍奮闘。
1曲目シ~ン 
2曲目シ~ン 
3曲目 ジワッ
4曲目で拍手を勝ち取る


11月25日(土) POWER STATION
どうも遅刻したようです

11月26日(日) 中津ファイアーハウス

出演 しぇいむれす グランソル 黒人バンド 女の子バンド
この頃 中津に新しい楽器店【中村屋】がOPENした。
1階が楽器屋で2階がライブハウス。
なんか秘密基地みたいな創りでいくだけでワクワクした。

この動きに合わせてか今まで活動を中止してた
バンドも復活したりして嬉しかった
 
あなた(EG 暴)のいない左側に少しは馴れてきたの。
名言『盛り下がっていこうぜ』


12月10日(日) 中津ファイアーハウス
しぇいむれすCD発売記念イベント

出演 しぇいむれす セックスバズーカ- 自家発電
この頃は合い間を縫って連日
チラシ配りやポスターを貼ってくれる場所を探して広報活動に勤しんでて
とにかく沢山の場所をまわるために渋滞を避けて夜中のうちに
敵地に乗り込み車内泊で開店を待って朝一で乗り込む事も多々あった。

福岡 大分 別府 中津 行橋 苅田 宗像 小倉 黒崎
田川 飯塚 春日 豊前
などのCDショップや書店などは軒並みまわった
2001年プロモテレビ局
またテレビ局に直接乗り込んで
『俺を出してくれ!!』的なこともやっていた。
アポも無しに突然乗り込んできた無名アーティストなど
当然何処も相手にしてくれるはずも無いのだが
1件だけ大手テレビ会社のプロデューサーが
『キミ面白いね。ウチのほうで企画練ってみるよ』
ということで大ハシャギ!!
後日ワクワクドキドキしながら電話してみると
『あれ?そんな事いったっけ?』であしらわれてしまった。

ああ無情(笑)

12月17日(日)大分フォーラスアコスティックライブ
2000年12月17日大分フォーラス
ゆめのしんが手に持ってるのは当時のポスター。
これを電柱に貼り付けたり手に持って珍ドン屋のように練り歩いた。
この日
ライブ会場でライブをみてたEG 九州男児(くずだんじ)が加入。

12月22日(金) 小倉WOW
2000年12月22日小倉WOW
気のあった対バンと楽屋にて。
不覚にも名前忘れても~た。
コレ見たら連絡ちょ~だい!!


12月30日(土) POWER STATION GIG

『アンタレコ発ツアーやるんになんでウチが入ってないんでっちゃ!!』
チラシを貼らせて貰いに行った時にちゅうさんから突っ込まれ
追加公演。


12月31日(日) ファイアーハウス

~カウントダウン2000 
出演 しぇいむれす 自家発電 ルーシー SEXバズーカー ほか
九州男児 初登場。



2001年 EG SHO EB狼志 加入
和太鼓との出会い

2001年TOP



1月1日~6日浜宮綱式天満宮新春ライブ

3年目となり曲も増え板についてきて大好評。
兄さん姉さんパパにママ♪
じいちゃんばあちゃん外人観光客や子供にも大人気。
調子に乗ってずうずうしくも自家製お賽銭箱を用意し
投げ銭で神前鳥居前で約3万6千円盗み盗る
(宮司とテキヤの親分には話しは通してあり)

1月6日(金) 抜き打ちLIVEファイアーハウス
EG 夏村晃太郎 加入 ほか二名加入(のち全員自然消滅)
出演 しぇいむれす ルーシー ほか
昼間神社でのライブを終えて遊びに行ったつもりが
店長から『良かったら新春一発目どうですか?』
みたいな流れになって『いっちゃいますかぁ!!』
と抜き打ちライブ。
お正月からフル稼働し過ぎてQY電池切れ(笑)


1月26日(金) 小倉WOW
出演 しぇいむれす シークオブガーデン ほか
お客サン超満員。
うちの客ではない。
そんな事はお構いなし!!


1月27日(土) 中津ファイアーハウス
出演 しぇいむれす グランソル SEXバズーカーほか

この時期、博多進出を念頭にチラシを貼って貰いがてら
片道3時間の道程を何度も通い 博多の街を下調べ
博多の街を下調べと合い間に同時にメンバーも積極的に探していたが
なかなか話が折り合わず
10人くらい面談ののち話がようやく折り合った
EG Sho加入
EG 木藤こうじ加入


1月28日(日) 中津POWER STATION

レストハウス南山特設ステージ追加公演
『アンタなんでまたウチが入ってないんでっちゃ!!』
チラシを貼らせて貰いに行った時にちゅうさんから突っ込まれ
ふたたび追加公演。


長らくお世話になったPOWER STATIONであるが
この後 ちゅうさんが夜逃げをして行方不明になり
この日が最後のライブとなる。
楽器屋のはずが商品はほとんどホコリ被っちょって
妙なベットや布団売ったりマッサージチェア売ったりしてたもんなぁ

いずれにせよ
しぇいむれす誕生の地が無くなるのは淋しい限りである

そしてしぇいむれすはいよいよ博多へと拠点を移すのである。

次項 其の二、大海に挑む負けず嫌いのオタマジャクシへ進む
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其の二、2001年、大海に挑む負けず嫌いなオタマジャクシ

博多名物しぇいむれす第二期≪動乱≫

其の二、大海に挑む負けず嫌いなオタマジャクシ

2月11日(日) 天神徒楽夢
出演 しぇいむれす サンフィッシュほか

この日を境に松風幕府 博多に拠点を移す
と同時に就職もめでたく決まり怪しい新聞勧誘員となる。
しかし先に就職が決まったため10日間
車内泊で過ごし
ようやく博多での城が見つかった後も
何分 本家まで 片道3時間
生活そっちのけで広報やメンバー探しや職探しなど他の活動も忙しく
荷物が全然準備出来ず
暫らくの間
荷物もねえ布団も無え吉幾三

しばれる冬期にフローリングでジャンバー羽織って寝る日が続く
そして博多に拠点を移して17日後の2月28日
ようやく訪れた休日に荷物を運び
ようやく家らしくなった牙城で眠る(当時平均睡眠3時間)

また初博多ライブとなったこの時のサンフィッシュ(現バグハイパー)
のかずぽりとは共に衰退の傾向にあった九州のバンドシーンを盛り上げた生涯の盟友である


2月17日(日) 大分フォーラス
EG 九州男児 脱退

入社したてでいきなり仕事に遅刻して
ホモ男にソックリの社長から会社居残り説教。


2月24日(土) 中津ファイアーハウス
出演 しぇいむれす 自家発電 ほか
翌日の小倉と勘違いして大遅刻。
Sho初登場、ゆめハシャギすぎてマイク&機材破壊。


2月25日(日) 小倉WOW
前日の中津と勘違いして大遅刻。
開場オシオシで出番最後に。お客サンお帰りになる。
ところがカムバックで盛り上がり。
EB狼志加入


3月3日(土) 福岡ドラム参
福岡であると認識していたにも関わらずまた遅刻。
また同時期 
就職がきまったばかりの当時勤務していた会社社長から
休日希望がライブばかりだったので
『キミは仕事を取るのバンドを取るのかどっちなんだ?』
正直に『バンドです』と答ええてめでたくクビ。

若気の至りである。

EG 木藤こうじ 脱退。


3月24日(土) ラジオ出演
地元ローカルラジオ番組。



3月25日(日) 中津ファイアーハウス

出演 しぇいむれす ルーシー ジーマ ほか
EB 狼志 初登場
この当時は95年頃にプロモ制作用に買った8ミリで
自主プロモビデオを制作してて
ライブの合い間を縫っては集まっては
テレビ局に潜入したり(別にキャンセルの仕返しではない)
廃工場や線路に侵入したり高速道路でゲリラ撮影して機動隊に怒られたり
ライブ終了後にゆめのしんがパトカーに収容されて取り調べを受け
その模様をShoカメラに収めたりとお茶目な小僧集団であった。
2001年プロモテレビ局刀
刀持ってこんな事やってツマミ出されなかったのはテレビ局ならでは。

3月29日(木)小倉WOW
出演 しぇいむれす オリバース 低空飛行 ほか
Sho & 狼志 加入したてで都合つかずぼっち一人。
でも楽し。

4月20日(金) ドラム参

4月22日(日) 大分フォーラス

4月29日(日) 小倉WOW

同時期、拠点を移して早々に資金繰りで親に迷惑かける親不孝息子、
職探しの後にめでたく何でも屋に就職が決まる。

5月04日(金) 小倉WOW
長崎からの援軍が駆けつけこの日限りの3年ぶりのフルBAND。
Vo ゆめのしん EG Sho EB 狼志 に加え
EG ヒロキ(Shoの兄) Dr テリオ(Shoの友達)
あまりに楽しかったためにハシャギ過ぎて標識を見落とし
警察にお縄を喰らう


5月20日(日) 中津ファイアーハウス
中津城に潜入ロケ。

5月27日(日) 福岡ドラムSON
出演 しぇいむれす フルアヘッド マックスフィールドパリッシュ
Shoが地元長崎の友人軍団を引き連れてきた。
この中に後にマネージャーとなり
陰ながら激動のゆめのしんの活動を四年間に渡って支え続けるまねじゅんの姿があった



風雲桶狭間ツアー~予告編スタート
メンバーが集まったところで作曲合宿
そして『土産が無いとあかんやろ』ということでレコーディング
さらにいきなりツアーである。
メンバーは仕事を休んだりして必死についてきてくれたわけだが
とにかくこの頃は攻撃性が強く
火中に飛び込め!!焼かれて強くなれ!!
渦中に飛び込め、揉まれて強くなれ!!
的な精神であった。
そしてしぇいむれすの名を九州全土、全国に轟かす事に夢中であった
2001年春ゆめ


6月9日(土)中津ファイアーハウス
チラシを配布するために前日深夜乗り込み
朝一でこの地区のSHOPに挨拶まわりとチラシの配布。
昼過ぎにライブハウス入り。
というのが日常茶飯事。
資金繰りと広報はゆめのしんが一手に引き受けていたため
自身の仕事だけでは追いつかず
親にアタマを下げて工面して貰い
SHOPにアタマを下げて店頭に貼らせてもらい
街頭ではキャバクラの兄ちゃんみたいに陽気にチラシを配布した。

よせばいいのにサラ金に手を出してしまうのであった。
後にこの利息でクビが回らなくなりこのツアーは終了するのであるが
それはまだ三年も先のことである。


6月23日(土) 天神徒楽夢
大フィーバー
よほど盛り上がったらしく当時の日記には
まもなくブレイクの予感??
なんて書かれちょる(笑)

2001年プロモ海岸
ライブが多い上に各自仕事があるので
プロモ撮影も集まれるときにまとめて収録された。
この日は朝3時くらいから早起きして海岸ロケ。

6月24日(日) 小倉WOW
出演 しぇいむれす バッファロー7 ファイクモア
この時期全国のライブハウス宛にあつ~いラブレターを送りつけている。
通常チケットノルマというのが発生し
このチケットをさばくために世のバンドマン達は
あくせくと働いたり友人知人にアタマ下げまくったりしてるわけで
動員とノルマは活動する上で最大の悩みの種である

しかし他地方のバンドにはツアーバンド制度というものがあり
チケットノルマが免除されるシステムになっている。

当然ライブハウス側としては
無料で場所を提供するわけであるから実力を伴なわないと実現しない。
●自分で売り込む面接、オーディション パターン
●ライブハウスからの推薦状を貰う推薦パターン
もちろん後者のほうが圧倒的に説得力がある。
・・・がずっと通って実績のあったPOWER STATIONが無くなり
いわゆる古巣、とかホームグランドが無いホームレス状態での挑戦であったので
ゆめのしんに残された選択は一つ※
前進あるのみ!!なのであった

※賢明な人ならココで無理せず力を蓄えてから挑むんやけどね^^
バンドデビュー適齢期を過ぎた若干26歳、若気の至りでやんす。


7月1日(日) 中津ファイアーハウス
ボクらはさんにん♪
おっきゃくさ~ん一人(涙)
お?
おきゃくさんふたり(笑)
おお♪
おっきゃくさ~んさんにんで仲良しこよし(笑顔)

確かみんな予定が入ってこれんかった。
そんなこと気にせず『三対三でタメだ。賑やかに派手にいくぜ~』
ちなみにこのお客サンは
広報活動で回ってたショップの店員サン。
営業妨害で空き足らずライブにまで連れ出すとは・・・


7月5日(木) 広島バッドランズ
出演 しぇいむれす おそまⅡ TRST
遂に本州上陸。初とあってテンションも高い
車も仲良くテンション上がってオーバーヒート。
ありょ~ 入り時間間に合わん。
バッテリーをチャージしてくれる心優しい広島人を探して
メンバー揃ってヒッチハイク
しかし充電ケーブルを携帯してる人がおらず難儀してたところに
『タクシー捕まえて頼んでみ?1000円でやってくれるけん』
なんと!?タクシーにそんな裏メニューがあったとは・・・
(このときの旅の知恵にはその後何度も助けられた)

早速
『へい!!タクシー!!』
『はい、毎度!!』
『バッテリーチャージいっちょう』
『ありやとやんした』

初にも関わらず1時間半も遅刻してしまった。
しかしライブのつかみはOK!!
お客さんもついてその後広島でライブがある度
観に来てくれちょる

広報活動も怠らず商店街を練り歩きチラシ配布とチケット売り。
そしてCDを置かせて貰うSHOP探しするあたり抜け目ない。


7月7日(土) 大分スタジオCOZY
ツアーや仕事の合間にスーパーから廃棄ダンボールを山のように貰ってきて
せっせとチラシを貼り付け工作し
夜中にセミのように電柱にへばりついて
しつこいくらいアチコチ貼ってまわった公害のようなチラシが
虎洲斗豊後の国のパンク界の首領
豊後激核最終兵器 虎洲斗のキヨフミの目に止まり電話がかかってきた。
『俺のイベントの資料送りたいんやが住所教えてくれんかのう』
『いままだないんよね』※当時博多に拠点移した2月初頭。
『は?』
『博多きて仕事はみつかったけど家がまだやけ車が家なんよ』
『ハッハッハ オマエおもろいやっちゃ、俺のイベントでてくり』
ということでこの時の縁もまたその後一生続く盟友の契りとなるのであった

みかけのインパクトもさることながら楽曲は
まさしく魂の叫びでそれまでにみたどのバンドより衝撃的で
サードアルバム『恥道』に収録されてる松風物語では彼の歌唱法をパクらせて貰った


7月21日(土) 天神ハートビート
出演 しぇいむれす 聖飢魔Ⅱコピー セックスマシンガンズコピー
2001年夏
珍しく三人揃ってのショット。
とにかくShoとゆめのしんがステージ上で暴れ回り
『会場全体が俺らのステージじゃ!!』
ステージから飛び降りて客席乱入もしばしば。
『カメラに収めるのが難しいけんジッとしとってよ!!』
とまねじゅんに怒られよった二人。


7月22日(日) 天神徒楽夢
出演 しぇいむれす なんちゃって聖飢魔Ⅱ サンフィッシュ
お客さんいっぱい
ほとんどがサンフィッシュFAN
かずぽり、ごっつぁんです!!


7月26日(木) 熊本ジャンゴ

熊本初進出
大立ちまわり!!

この当時 勤務先の何でも屋では
ハトの糞防止のためネットを貼る仕事をしており
現在、いや当時でも有り得ないのだが
予算の関係上、命綱無しの足場は風で倒れそうなヤバイもので
足場が全然足りないので
天といを使ってスパイダーマンのように往来していた

バンドのためとはいえ
命がいくつあっても足りない会社である


7月27日(金) 小倉WOW
Sho は 仕事が重なり出られないはずだったのだが
上司と喧嘩して参加。
『ライブを取るか、仕事を取るか』
バンドマンならではの苦労と逸話である。

この翌日
ハトの糞防止現場で四階で作業していたオッサンの持つ鉄パイプが汗で手を滑らせ落下、
二階で作業していたゆめのしんの脳天に直撃
そのまま階下に停めてあった車に落ちて車大破。
幸いアタマの一番硬い部分に当たったため割れるだけで済んだが
車が大破するほどなので一歩間違えば即死である。

『病院行った方がいいですよ』
という同僚がいうのも聞かず
ゆめのしんは『禿にされるけん絶対イカン!!』
(バンドマンにとっては髪が命なのである)
血を流しながらそのまま作業を続け
傷アワワと消毒液で治療を試みるが
夏だったため傷口が化膿、
一週間後・・・・結局病院に厄介になり
『もっと早くくれば傷も残らなかったかもしれんのに・・』
『え?ハゲは?』
『今は医療用ホチキスで剃らなくて良い場合もあるんです』
∑(゚д゚lll)ガーン
そんな医学の進歩知らねえもんよ~P24.gif
ということで今でもその傷は残っちょります。

残ったものといえばこのときの同僚
小野君は誘われるがままにみたライブで虜になり
ファン倶楽部恥団博多支部長にまでなり
ライブだけでなく印刷業者であった実家で
しぇいむれすオリジナルTシャツなど作ってくれた。

これは闘いで出会った傷に勝る一生もんの宝である



8月11日(土) 天神徒楽夢
出演 しぇいむれす バミコン ショートケーキ
2001年鉄パイプ事件頃
このときの打ち上げで鉄パイプ事件の話をし
『え?それで病院行ったの?』
『行ってない。自分で治療しよる』
という話をして
看護婦だったまねじゅんに傷口を見せたら
化膿が判明。
『リーダー病院イカンとアタマが腐るよ』
『もう腐っちょるわい!!!』
とShoと冗談言い合ってたのだが
『でも・・脳内出血とかしてたらマジ死ぬよ?』
とまねじゅんから驚かされ結局行くことになったのであった。


8月12日(日) 天神ハートビート
EG 木藤コウジ遊びにきた
彼は凄く気があったのだが音楽性の違いがあったため
道を分かつことにはなったが脱退したあともちょくちょく遊びにきてくれた
博多弁を凄く格好よく使いこなす男で
ゆめのしんが時折り使う慣れない博多弁は実は彼がモデル。



8月15日(水) ベイサイドプレイス博多
店長の華山さんやマスターをはじめ
スタッフのみなさんにお世話になり
のちに博多でのホームグランドとなる
【天神ハートビート主催】
博多湾を一望出来るデッキ特設ステージでライブ。
夏BANDに夏オトコ、夏フェスで夏らしさ全開。

暴れすぎてヘロヘロになりながらも終了後に
プロモのロケ敢行。

2001年プロモ廃工場
カメラが回ると元気になってポーズをキメる三人の図↑


8月19日(日) 大分フォーラス
2001年819日大分フォーラスろし

この日Dr K三初登場。
まねじゅんはこの頃になると博多だけでなく地方での遠征にも
応援にきてくれるようになる。


8月24日(金) 佐賀ガイルス
出演 しぇいむれす シュラ(東京) 嘘つきライダー
シュラはナカナカの強敵で東京からもお客サンがきちょった。
当時配送の仕事で佐賀方面に回されることが多く
経費削減と時間有効活用のため
助手席にチラシと弁当を積んで佐賀のCDショップや書店
楽器店などチャッカリ広報活動。
熱が入り過ぎて社長から『遅かったじゃないか!!』
とよく怒られ
『いやあ車がえらい混んじょって参りましたですけん』
と苦しい言い訳をしよりました

この佐賀ガイルスはその賜物である。

2001年8月24日佐賀K三
K三のドラム姿!!!
ありょ?写っちょらん。
いくら空気みたいな奴とはいえ存在まで消すとは・・
ちなみにバナナの箱はK三のエサではなく
アンケート用紙が入っちょる。
ライブ後お客サンは退散モードなので回収率が悪かった。
そこでライブ中に突如ゆめのしんとShoがステージから
ダイブしてきて手渡し。これでは拒むに拒めない(笑)



9月2日(日) 中津ファイアーハウス
風雲桶狭間ツアー予告編ファイナル
出演 しぇいむれす ルーシー ジャイアン

ルーシーもまたツアーで出会った好敵手で
実はサードアルバム『恥道』の
ラストを飾る時代的ラブソング『時代の夜明け』は
彼らの音楽への想いを綴った楽曲『うた』に刺激されて
つくったものである。



お騒がせな四人組、予告編から色々ありすぎて
はてさて本編はどうなることやら?

風雲桶狭間ツアー本編
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edo11.gif
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其の三、風雲桶狭間ツアー前編

風雲桶狭間ツアー本編 

キャスト  
 ゆめ2001 Vo ゆめのしん 
しぇいむれすリーダー
一行を率いて全国制覇を狙う26歳

2001年Sho EG Sho

ムードメーカー
暴れ貴公子22歳
 
2001年狼志 EB 狼志 
 
冷静沈着上半身、あばれはっちゃく下半身。
25歳

2001年K三 Dr K三
ほくろ神拳の使い手。
ちょっぴりシャイな22歳 

まねじゅん  まねじゅん
Shoの長崎時代からの姉弟みたいな関係。
しぇいむれすをお客さんとして応援していたが
マネージャーとなる 


 
ツアータイトルは脈絡が無いようで実はある。

全国というデッカイ大物相手に四人で 
絶対怯まず恐れず立ち向かっていくんじゃ。

『コレは俺らの桶狭間やぞ!!』

という意味でつけた。
キャッチフレーズは
一度はみやがれ!
聴きやがれ!
そして俺らに惚れやがれ!!

なんだかバーボンのボトルを抱いて♪
壁際に寝返り打ちそうなタイトルであるが
とにかく天下にしぇいむれす在り!!
という存在を知らしめる強い意志の現れである

スケジュールは殆ど
ライブハウス宛のラブレターと電話で取ってきたもので
最初は苦労したが
出演するハコが増えると『じゃあウチも・・・』
という流れになった
セカンドアルバム【恥雷】11月11日に全国一斉発売!!
謳いつつも流通を通さず総て直談判の直接手渡しだったために
最初に設置された福岡と最後に設置された東京で
2週間以上の開きがあった(笑)
空き時間はプロモの撮影と広報、
弦楽器組は車内で楽器を弾き
肉体組はロードワークなどで汗を流し
観光一切無し、土地の食べ物食べよる間もない
対バンもさることながらかなり濃いツアーであった。

ファン倶楽部はじしらズ(通称:恥団)が誕生したのがこの時期で
初めてしぇいむれすを見るお客サンばかりの土地で
多少強引な部分もあったが少しずつ着実に各地にファンが誕生。



9月16日(日) 天神徒楽夢
出演:しぇいむれす サンフィッシュ ごん
ツアー開幕。
このめでたき日 またもやサンフィッシュと一緒。
EG木藤コウジ がお祝いに遊びにきてくれた。

そしてこの日まねじゅんの誕生日で
予告編では各地のライブにほぼ欠かさず駆けつけ
全力で応援する彼女に
メンバーから花束贈呈の一幕もあった

めでたムードも束の間、終了後メンバーは休む間もなく大阪へ
つうか運転出来るのはゆめのしんのみなので
一番大変なのは彼である(笑)


2001年秋ゆめじゅんしょう
ライブ終了後。ツアー出発前のオフショット。

9月18日(火) 大阪ブーミンホール
17日早朝 どうにも眠くなり島根山中で寝ようとするが
山の朝は凍え込みが激しく眠れんので
そのまま移動。勢いで奈良までいき少し眠って
京都 奈良の観光・・・・という訳にはいかず
広報活動。
この日は奈良の鹿公園に宿泊。
オトコ四人 機材の沢山詰まった車内で
【く】の字や【へ】の字
K三はアクロバティックな【や】みたいな格好で寝てた。

18日早朝 弦楽器の二人は流石に嫌がったが
早朝K三と肌寒い奈良の町をランニング。
身体が暖まったところでプロモの撮影。

鹿に囲まれ和やかなムードの中、撮影は順調に進むかに思われた
・・・が一頭のオス鹿がShoの股間に頭突き!!

幸い角が斬られて無かったので大事には至らなかったが
プロモの珍場面として残されている。

そして初大阪。

500人クラスの大きなハコで
そこそこ席が埋まっていた
もちろん初めてのお客サンばかり。
のちに恥団 大阪支部長となる吉田姉妹(兄弟ではない)
もその中の二人であった。

一番驚いたのはアンケートで
他の土地では
そんな沢山書かないのに
大阪は裏までビッシリ!!

しかも『アソコ間違えとったで!!』
としっかりツッコミまでしてあった。

終わってそのまま一行は広島へ・・・


9月19日(水) 広島バッドランズ
兵庫で少し眠って
早朝から営業してる姫路のとある銭湯へ!!
そこは暖簾をくぐった時から異様な雰囲気が漂っていた。
なんだかわからないが普通の銭湯では無い雰囲気が。

いざ浴室に入りそれがようやくハッキリした。
皆さんドナタも立派な絵が書かれてました。
そうですの人です
ドナタもこの顔みたら・・・という顔つきです
どうやら刺青お断わりシールが貼られていない御用達銭湯だったようです

a_yukimi01.gif ガラガラガラ・・・
続いてShoが入って来てハシャごうとするもすれ違うお方の
異様な雰囲気に気付いて口をパクパク・・・

そしてそのお方が出た瞬間に
今のみた?みた?背中に絵が書いちょったよね?
スゲ~

と大声で叫び 一同ギロリ。
ゆめのしんは慌ててShoを制止
小声で『バカ。全員お連れ様やら』

a_yukimi01.gifガラガラ・・・
狼志が入ってきた
かけ湯を浴び一瞬入浴で去っていった

a_yukimi01.gifガラガラガラ
K三が入ってきた
狼志のように急いで脱出したかったようだが周りを挟まれ
湯船から出られなくなったようである

さてなんとか難を逃れたShoであるがまたもや
冷や汗もんの珍事を起こす。
銭湯の石鹸と勘違いしの人のMy石鹸を勝手に使用。
ゆめのしんは『バ・オマエそれ・・・』と口パクパク
『え?コレここのじゃないの?』と仰天。
幸いにも他所を向いてたのでそっと返して難を逃れた。

いやはや一行は汗を流すつもりが変な汗を沢山かいたのであった

ともあれ いざ広島に出発!!
あれK三は??

そういえば見当たらない。
普段は覇氣のない空気のような奴なので存在感を消すと見当たらなくなってしまう。
すると真っ青いや真っ赤になってK三がフラフラ出てきた
どうやら脱出の機会がナカナカ訪れずノボせたようである(笑)

広島に無事辿りライブ
前回初広島時に来ていて広島支部長となる宮地姉弟が応援に駆けつけ
ツアー中、(特にゆめのしん)まともに寝てないので全員ナチュラルハイ。
盛り上がった。
さらに打ち上げで夜明けまで公園で騒いで
翌日プロモの撮影と広報をして一行は短いようで長かった3日間を終えて
福岡へ帰るのであった

9月24日(月) 小倉WOW
2001年秋しょう
11月の発売に向けてセカンドのレコディングも同時進行しており
やはり意見が衝突し喧嘩も怒るわけで
スタジオでShoと取っ組み合いになったり危うい場面もあった。
狼志は予告編の時に脱退の意思を明かしており
K三もこの頃、脱退の意思を口にした。


9月30日(日) 天神ハートビート
バッテリーがあがって40分遅刻。
イライラしてるところにバスが停車して道を塞いでおり
ゆめのしんはつかつか車を降りていき
『どかんかコラ!!!』と怒鳴りつけてバスを動かす。

よく考えると別にバスは悪くない。

10月5日(金) 名古屋ミュージックファーム
さてまたもやツアーに出かけるわけであるが
(K三は前回で懲りたか今回は脱落)
初っ端から80オーバーで山口県回転様のお縄。
一発鳥芥子の危機!?
ところが滅茶苦茶話のわかる回転様で
『そんなに急いで何処いきよったんや?』
事情を説明。
『バカたれが・・・そんじゃオマエの麺虚のうなったら活動でけんやないか』

『よしわかった!!ここから好きな奴選べ!!』
なんと二転 三転の夢の三択
『ちょ、待てや、オマエ残いくつや?』
『●転です』
『オマエそれじゃ麺亭になるやないか!!
そんじゃコレにせい』
なんと出血大サービスの一天ポッキリ!!
開きなおってかなり悪態ついたゆめのしんであるが途端に態度を変え
hp18.gif 『ありがとうごぜえますだ、このご恩は一生忘れません』
といいつつもその後何度もお縄となり鳥芥子にまでなるのであるが
この温情のおかげでこの後の怒涛の三年を乗り切れたのも事実である

さて途中諏訪湖でプロモ撮影などしつつ名古屋に到着。
ここでまたもや強烈な個性をもつ人物に出会う

一度見たら絶対忘れれん強烈な個性の持ち主
単身リュックに打ち込みマシーンを抱えて全国を旅するツワモノ。
TASKEである。
『おととし30代を迎えた友人のために創りました
題して!!!半分還暦・・・・・』
30周年おめでとう~
半分還暦おめでとう~
アナタが生まれてよかった~
ニワトリ鳴いたよコケコッコ~

この文にすると面白くもなんともない文章が
彼の持つパワーとオーラによって物凄い言霊に変わる
一度は絶対必見!!でも二度目はもういいかな(笑)
嘘うそ^-^TASKEもまたツアーで出会ったかけがえのない
お互い刺激しあう終生のライバルである


壱百 10月6日(土) 浦和ナルシス
名古屋を経ち真夜中に東京に到着。
銀座、日本橋辺りでカルチャーショック!!
エッ(゚Д゚ ≡ ゚Д゚)マヂ?
『うあわ~すげ~東京は夜中でも真昼のごたあね!!』
と田舎もん丸出しでキョロキョロするゆめのしん←運転中×
『ちょ・リーダー!!前みて!!前!』
と生命の危機を感じたメンバーから後部座席から罵声が飛んだ。

関東に入りとりあえず宿場を探さねばならぬ
一行は品川埠頭を目指す。
初関東というわけで地図片手に運転してたわけであるが
東京の街は地図をみても難解である。
『ん?なんやこの道・・・なんちや3500円も払わんとイカンのかえ?』
どうやらアクアラインに侵入したらしい
『冗談やないわ、こげなトコで余分な金払えるか』
っと全力後退・・・・
パパパパパパ~
とクラクション鳴らす巨大トラックの群れ
ウヒャ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━ !!!!
『うわ~リーダーぶつかるぶつかる!!!』
間一髪セーフ。
『なんやあのトラック。あぶねえなぁ』←あぶないのはアンタ

で気を取り直して再び品川埠頭へ・・・
『これか?』
と選んだ道はクネクネくねくね空高く昇って行きます
『オイオイオイオイどこまで連れてく気や!!』

そして視界が開けた瞬間
すげ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ド━━━━━━(゚Д゚)━━━━━━ン!!!
そこはレインボーブリッジと東京の夜景が一望出来る道でした

( ´∀`)おおおおおおお
と感動するゆめのしん
『リーダーあれ、品川埠頭やないん?』
『ナヌ!?』
∑(゚Д゚;)アラマッ

どんどん品川が遠ざかって行きます
『ちょ・待て!!Uターンじゃ』
(;゚д゚『無理無理無理無理絶対無理!!死ぬけん辞めて!!!』

ということで一行は千葉まで行ってしまい
物凄く遠回りしてようやく品川埠頭に着いたのであった。
大人しく寝るかと思いきや
プロモの撮影。

ふと周囲を見るとデッカイ高層ビルが沢山みえた。
Shoが
『あん中、ちゃんと人はいちょるんかネエ』
と呟く
ゆめのしんの故郷の人口ソックリそのまま入りそうなデッカイビルに
『あげなでっけえ建てもんハリボテにきまっちょろうもん』
とゆめのしん。
『ふ~ん、でもあのビル全部手に入れたら愉快やろうね』
とShoが( ̄ー ̄)ニヤリ
『入れちゃろうや!!東京!!!今にみちょれ!!』
ウオオオオオオオヽ(`Д´)ノオオオオオオ
と決意新たに燃えるゆめのしんであった

その後暫らくは関東遠征の際この品川埠頭が東京の宿場となる

佐賀のライブで会場にいた横浜のマダムが観に来てくれたり
嬉しいこともあった。
そしてこのライブがソロとかミニライブとかカウントされたりされなかったりで
カウントがかなりあやふやではあるが
100回目記念ライブとなっている


10月9日(火) 横浜CLUB24WEST
さてさて6日のナルシス終わって次ぎの横浜までの空白の2日間
これをいかに過ごすかで今後が変わってくる。
年長でリーダーであったためメンバーに示しをつけるためにも
どうしてもアタマが硬くなったり少々口五月蝿くなってしまったりしてしまう

当然、広報プロモ撮影トレーニングなどしか
ゆめのしんのアタマには無いわけだが
『リーダー、せっかく横浜まで行くんやけんHIDEミュージアム行こうや』
とせがむSho
『俺たちゃ観光にきちょるんやないんぞ?』
『ちがうったい、俺らの尊敬するHIDEがどんだけのもん残したか
社会見学も勉強のうちやろ?』
う・・・今回はShoに分があった
『しょうがないのう・・←本当は自分も行きたい
でもこれっきりやぞ!あとは広報とかに使う』


という事で一行はHIDEミュージアムへ
テンションあがったところでここでもチャッカリ
プロモ撮影(流石に館内ではHIDEへの敬意もあり撮れなかった)

その後は広報で銀座の山野楽器やTUTAYAを回ったり
新しいライブハウスの開拓で下見や面談を行い
いよいよ横浜。

(ノД`)ん?あれ?
(;´Д`)ウッ…K三・・・オマエいたの?
(-_-)『いました』
いつから?
(-_-)『最初からずっといましたけど・・・』

イヤ━━━━━(*´∀`*)━━━━━ン!!!!
記憶にございませ~~~~~~ん

ということでごめんなさい どうやらK三いたようです

(日記の走り書きの K三ずつう のメモから判明)

10月10日(水) 渋谷ギガンティック
初ト~~~~~~~~~~キョ~~~~~~~~~~~~~~~
p2.gif

ですよみなさん
右も左もヒトヒトヒト20060731230734.jpg
ダイゴロウもぴっちゃんオモラシするくらいのヒトだらけ!!

まあね
道が
クネクネ
くね区ね
苦ね駆ね
くねくね
しちょるけんがそげなこたどーでもいい!!

『おいみろ!!すげ~ヒトやぞ』
S『どっから沸いてきよんのやろ?』
『実はあの門でUターンして同じとこ行ったりきたり
しよんのやなかろうかの?』
『今日どんぐらい入るかな?』
『ばっかオマエ大阪であんだけ沢山おったけ東京は倍はくだらんやろうもん』
『そうやね。今日は俺らのスゲエとこみせちゃろうや』
とかなりテンション高め

そしていざ~~~~~~~開幕~~~~~~~~~~~~~~~~!!

(ノД`)?
1・2
なんべん数えても
1・2

( 」゚Д゚)」オーイ!!
Shoクンなんだかお客サンが二人に見えるンデスケド
(-_-)二人やね
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工
うそやろ?ココ東京やろ??
表あんだけヒト歩きよったやん

ハイこういうのを世間一般では
か・ん・ち・が・い
といいます
こうやって己のちっぽけさを知っていくわけですねぇ

『どうする?』
『どうするもこうするもお客さんは二人やが
対バンもみよるしお店のスッタフもおるやろうもん?
しかも初東京で下手なことできるか!!
オーディションのつもりでやっちゃろうや!!』

ということで広広とした客席まで使ってオオ暴れ!!
無事次回のブッキングを獲って帰りましたとさ。



10月13日(土) 椎田シャンシャン祭り
2001年10月13日椎田
( ● ´ ー ` ● )ん~?
ヽ(´ー`)ノ
一昨日まで東京おったんやが
田!!
山!!
海!!
田舎はのどかでいいねえ
と感傷モードに浸る余裕はなく
やはりここでもプロモの撮影をやる一行

なんだかガキンチョにモテモテ
一番人気はK三であった
色白で背が高くガイジンみたいな顔立ちであるため
小さなギャル達のハートを掴んだようだ

俺もちゃんと掴まれたぜ?
ギュっとな
あれれ力が抜けてく・・・
シッポ?

シッポはゆめのしんのトレードマーク
このシッポが子供達に大人気

ゆめのしんが歩く後ろに子供行列が出来たのであった


10月14日(日) 中津ファイアーハウス
最年少3歳のファン誕生。
恥団総会長りさの愛娘でかなりのおませさん。


10月17日(水) 熊本ジャンゴ
二回目の熊本
商店街での呼び込みが成功(笑)

恥団熊本支部誕生。
そしてこの日を境にまねじゅんは
ゆめのしんを支えるよきパート-ナーとなる。
メンバーでさえ数日、数ヶ月としか持たない環境の中で
以後四年もの間、心から笑い心から泣いた
長い長いしぇいむれすもう一つの物語の始まりであった


10月19日(金) 大分TOPs
出演 しぇいむれす コアファイター かもねぎ ほか
恥団大分支部誕生
キヨフミ君が応援にきてくれた。

そしてアルバムもいよいよ最終段階
スタジオに徹夜の泊まり込み。
夜7:00に入って明け方8:00
ようやく完成!!

そして春からアチコチでライブの合い間を縫って
作成したプロモもいよいよ完成。

10月20日(土) 天神徒楽夢
出演 しぇいむれす GUF レッドゲイジ

10月28日(日) 天神ハートビート
K三が親に拉致監禁。Shoも同行
狼志も流石に『VoとEBはキツイっす』
で全員当日キャンセル。

で諦めが悪いのがコノ人。
『こんなんでツアーに穴空けられるか!!』
と当日の朝、バタバタ準備
急遽1人で打ち込みライブ。

そしてその後の練習でバンドミーティング
狼志は前々から辞めると行ってたので脱退表明
K三も『ボクも・・・』
そして『辞めん』と言ってたはずのShoであるが
『やっぱり俺も辞める』
という事になり
『現時点やとあまりに半端過ぎて
ここまで応援してくれたファンのみんなに申し訳が起たんけん
節目の11月16日のドラムロゴスでキッチリ
けじめ
をつけて終わりにしようや!!』
という事になったのであった



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其の四、風雲桶狭間ツアー後編

博多名物しぇいむれす第二期≪動乱≫2000~2001

其の四、風雲桶狭間ツアー後編

 pos3.jpg

メンバー脱退が決まりそれぞれの想いを胸中に抱きながら後編スタート!!!

11月1日(木) 奈良ネバーランド
このときの対バンが花団である。

花団  
本当にハチャメチャなバンドで
でも音はシッカリまとまってて絶妙のコンビネーションであった。
その後、なかなか縁がなく絡んではいないが忘れられん好敵手。


11月3日(土) 目黒ライブステーション
2回目の東京。
前回苦い経験をしてるので今回は期待していなかったのだが
なんと超満員!!
『.。゚+.(・∀・)゚+.゚スゲ~!!!張り切っていこうな』
『(´∀`)やっべ~俺緊張してきたばい』

と楽屋でテンション高めの二人。
そこへ
『(´Д`)みんな帰っちゃいましたよ』
オオォォ!!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ ォォオオ!!なんですと!!

200人以上いたお客サンが・・・
お客サンが・・・
転がる空き缶と紙くずに・・

『いやよくみりゃまだ20人もおるやないか!!
贅沢ぬかすとバチがあたるわい』
ということでオオ暴れ!!

西ではお金払ったんやから全部みらんと勿体無い志向があり
全体を楽しんでくれるお客さんが多いため
対バンやお客サンと仲良くなったり新しい出会いが生まれやすい。
しかし今回のようなお目当てのバンド見たら『サイナラ』
時間にがんじがらめの東京ではよくあることで
一体感や出会いはなくなるが勘違い野朗には良い薬である。


11月4日(日) 新宿アンチノック
中津での活動時代の仲間に偶然東京で再会。
そしてこの日イケ面四人組のモテBAND【KING】がいたのだが
ゆめのしんのハジけぶりと行動力に惚れ込まれ
『うちのバンドで是非ボーカルを』
という話が来た。正直メンバー全員脱退が決まってただけに
にわかにが揺れたが
やはり答えは
俺にはしぇいむれすしかない
であった

11月8日(木) 広島バッドランズ中止
東京から広島までの間
途中の大阪 奈良  名古屋や京都などで
広報など行いつつ進軍するが
なんと初代EG暴から激励の電話。
『相変わらず派手にやりよるごたるなあ
まあ頑張んない』
セカンドの講評などもらった。
ちなみにこの広島バッドランズは
対バンが見つからず中止になった


11月9日(金) 姫路ベータ
このときの対バン
リミテイションディレクションメロウ
どちらも実力派バンド。
特にリミテイションディレクションはタメが物凄く上手くて
彼らのライブから学び吸収したことが
この後一人用ライブの第一号作品として誕生し
サードアルバム【恥道】に収録される♪劇的空間
活かされている

この時期ちょうど木下大サーカスが開催されており
賑やかな雰囲気の中
憧れの姫路城周辺を宿場に選び
きたる一人での闘いに向け曲創りや
激動の時代をくぐり抜けて生き残った
城下町に風流を感じながら体力創りに励んだ
姫路城


11月12日(月) 岡山ペパーランド
岡山城
初岡山。やっぱ城下町はたまらん!!
岡山は雄大な大地に育まれた大きな川があって
落ち着いて集中出来る環境があったので
その後もよくツアー中の駐屯地としてトレーニングなどに励んだ



11月16日(金) 福岡ドラムロゴス
2001年11月16日ロゴス吉田兄弟
そしてついに迎えたしぇいむれすセカンドファイナル 実際はまだツアーは残っていたがメンバー全員揃って脱退する
一つのケジメという事もあり
これまでの約8ヶ月の激動の闘いの中での各自の想いも交錯しながらも
このライブを成功させるという気持ちで一つにまとまった。
Shoは兄のヒロキを長崎から再び呼び寄せ
Vo ゆめのしん EG Sho EG ヒロキ EB 狼志 Dr K三
の五人でファイナルに臨んだ。

ロゴスはドラム系列で最大規模のハコで
徒楽夢→ドラム参→ドラムBe-1→ドラムロゴス
という四段階ステップになっている。
中は吹き抜けの三階建てになってて
プロミュージシャンもよく利用する
『いつかはロゴス』
という多くの博多バンドマン達の憧れのステージでもあり
ぶっちゃけしぇいむれすにはまだ早いステージであった。

枠がたまたま空いてたのか
意気込みを買ってくれたのか本当の所はわからんが
この日はファイナルという事もあり大トリを任された。

結果は
『いつまでもコイツらとやりたい』
『この瞬間が終わって欲しくない』
と思うくらい最高のステージだった

これまでに出会った仲間や
ファンも駆けつけてくれ一つの夢物語が幕を閉じた。


2001年打ち上げ
打ち上げにて。


~第二次 孤軍奮闘期~
メンバー全員脱退するとき
ゆめのしんはその旨をまねじゅんに告げ
格好つけて一人で闘うつもりでいた。

『今まで応援してくれて本当にありがとう。
でもこれから俺は一人になる。もちろん相応の努力はするが
今までのしぇいむれすよりクオリティーが落ちるのは
否めない。
それにこれからは今までと比べものにならんくらい大変になる。
Sho達と一緒に離れても俺はオマエを恨まん。
ちゅうかむしろコレからボロボロになるかもしれん俺を見られとうない』

『そんな淋しいこと言わんでよ!!
Shoちゃん達はShoちゃん達、ワタシはワタシだよ?
ゆめのしんがボロボロになるならワタシも一緒にボロボロになる。』
今度はひとりぼっちにはならなかった。
二人での闘い。

一人で闘っているかのように見えたが
しぇいむれすを陰から支えてくれたもう一つの物語。
そしてステージで暴れるゆめのしんを客席から支えつづけてくれたメンバー。

はたでみるよりも
そして側にいたはずのゆめのしんでさえ気付かなかった
想像を絶する苦労への旅立ちであった

11月26日(月) 大阪ブーミンホール
ここでまた終生の好敵手と出会う。
浪花のロックバンドアンジェラⅡ
Vo西谷
を筆頭にハジケまくったBAND。
その後メンバー全員脱退の試練と戦ったりするわけだが
今日もきっとどこかでロッケンロール。

さて一人で大阪の地に乗り込むわけだが
丁度一年前に同じ体験をしたわけで
二回目ともなるとも座ってくる

500人クラスのホールに楽器も無しに
打ち込みでたった一人のロックライブで
客席を退屈させないのはかなりのパワーが必要だが
情けない姿みせたら辞めていったメンバーに笑われるけん
『一人でも絶対バンドに負けん!!』
つもりで挑んでいるので
呑まれることもなくファンを獲得した。


12月9日(日) 中津ファイアーハウス
広報は相当地道な作業で
スーパーで大量のダンボールを貰ってきて
手ごろな大きさに切る
それに1枚1枚チラシを貼り付け
柱に結べるように紐を通していく

一つの地区に最低50~多いときは100枚近く貼ってまわった。
主に
博多、北九州、中津、大分 苅田 行橋 宗像 宇佐 田川
これが500枚、1000枚ともなると相当な作業量となる。
それでも自分達を売り込むためにせっせと作った。
指の皮がむけてが出ても・・・

メンバーでさえも手伝いたがらなかったこの作業を
まねじゅんは進んで手伝ってくれた。

おかげで作業が捗り空いた時間をファンのための会報創りに
回せたり出来るようになった

12月29日(土) 天神ハートビート
ワンマンに向けての準備が大変だった。
たった一人で2時間近く(もやる必要はないんだが)
飽きさせないステージ。
今までの一人ライブでの曲をかき集めたにしても
メリハリに欠ける。
やはり何か楽器がないと・・・
楽器・・・
う~ん やっぱやるなら【和】がいいのう。

ご先祖様が御祓いで使用していた和太鼓が
うちに眠っていたのを思い出し
『かあちゃん、和太鼓まだある?』
『一つは神社に寄贈してもう一つはご近所さん(元校長)の納屋に
仕舞われちょるよ』
『それ、俺が使う!!!』
スグに獲りにいきホコリだらけの和太鼓とご対面。


コレがゆめのしんと和太鼓の最初の出会いであった 

皮肉にもメンバーが脱退しなければこの出会いはなかったかもしれぬ、
言わば決して諦めない男が呼び寄せた必然的な出会いであった



12月31日(月) 天神徒楽夢ワンマンショー
2001年冬ゆめ傘
忘れもしない本当のワンマンによるワンマンショー。
ロゴスの時のような大勢のお客サンの見守る中での
華やかなFAINLでは無かったが
大晦日の大切な日にこんな馬鹿ったれのライブに
集まってくれた。

準備に帆走し張り切り過ぎて前日に両足負傷したり
アレコレ欲張りすぎて2時間ステージで中だるみしたり
(今思えば一時間くらいで内容を濃くしたほうがよかった)
空回りした部分もあったが
決して最後まで諦める事無く闘った
この日を忘れない


1月1日(火) 天神ハートビート
そうそう
たねの存在を忘れとったわい。
たねとは婆さんのような名前じゃが
博多の女性ロックシンガー。
なかなか良い声でお互いライブを見たり
見られたりで刺激しあっちょった。
ワンマンにもちゃんと応援にきてくれた。
今はP・P・P

PPP.jpg 
とかいう長渕かのりピーが出てきそうな
バンドで活動中で頑張りよるようで嬉しいわい。

で・話は戻ってワンマンを終えて
その足で今度はハートビートへ!!
ニューイヤーLIVE。
新年一発目からウケまくり!!


そしていよいよ
ロックバンドから
ジャンルは?と問われて答えに窮す
なんでもありのしぇいむれすが最大の変革を遂げた2002年へと突入!!! 


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