もくじ

リンク

プロフィール

松風夢之進(まつかぜゆめのしん)

Author:松風夢之進(まつかぜゆめのしん)
生年月日 1975年9月5日
出身地 福岡県 ( 現在は江戸に在住 )
血液型 O型 
身長169㌢  体重59㎏
靴サイズ 25,5
流派 伊賀でも甲賀でも風魔でも無い博多忍者
性格 負けず嫌いなマイペース
特技 床に着いて5秒で就寝 起きて5秒で活動出来る
座右の銘 夢は背負わず抱きしめろ!!

主な活動

ロック、民謡、演歌・歌謡

和太鼓 
[奏者/講師]

津軽三味線
北村流名取[講師]

松風夢之進 事務局

出演依頼、問いあわせなど           お気軽にどうぞ!!

月別アーカイブ

最新記事

来忍

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第一期≪創生≫1991年~1999年

第一期≪創生≫1991年~1999年
しぇいむれすもこの時期はロックBANDである,
10代は練習は勿論、真面目に行っていたが
どちらかというと打ち上げなど遊び中心で朝そのまま学校や会社に出勤することも多々あった。
21歳辺りから少しずつ真面目に取り組むようになり
エックス、レディースルーム、聖飢魔Ⅱ、KISS、オジ-、マイケルシェンカー
人間椅子、グランドファンク、など色々な楽曲をコピーして曲創りのお勉強。
音楽活動の走りとなった時期である。
脱退加入が激しく5名から4名で暫らく停滞していたが
96年を境に3・2・1とカウントダウン式にメンバー減少。
遂には一人となり地元を飛び出して新たな旅立ちを決意するのであった。

ファーストアルバムを発表する2000年までに
少しずつオリジナルが増えていくわけだが
この時期の楽曲は
しぇいむれす、BLOOD ちーずばーがーに代表するように
ハードロック志向が強く出ている。

第一期≪創生≫の主な登場人物
ゆめ94ゆめのしん Vo 

しぇいむれすリーダー
馬鹿。ぶきっちょ。サル。字が汚い
好きな場所:高い所

暴爆裂破壊僧暴EG
好物 酒とロックとギター
特技 破壊。酔うと見境無し。
一度眠ると何があっても起きない。
起きても超ご機嫌ナナメ90度 


イサオイサオ EB
特技 EB、EG二刀流 実は一番EGソロらしいソロをやる
チャームポイント:鋭い目、眉間の縦ジワ
恐喝。イジメ。威嚇。


怒ナルド3ちゃぎEB 
ムードメーカー。元リーダー。自意識異常男。
特技:ストリップ☆
必殺技:ストリップ??
趣味:ストリップ!!!


ムンクのタカヨシタカヨシDr
黙ってると二枚目、喋ると三枚目。
自称遊び忍でコマした女は100人を超えるらしい
特技 放浪⇔帰還


具茶具茶EB
趣味 説教
特技 毒舌 
キメ台詞『バカヤロウ!!』

博多名物しぇいむれす第一期≪創生≫
其の一、生誕の刻1991年~1993年
バカ丸出しの夢見る五人組によってしぇいむれす誕生。
其の二、混沌の刻1994年~1995年
五人から四人になってもバカ丸出し。事件ばかり・・
其の三、修業の刻1996年~1997年
三人になってバカ丸出しからセミヌードくらい
其の四、奮起の刻1998年~1999年
二人になってやっぱりバカ丸出し!!
※一気読みする場合はクリックせずに下にスクロールすればそのままご覧戴けますぞ!!

目次に戻る

スポンサーサイト

其の一、生誕の刻1991年~1993年


1991年 MOON LIGHTでBANDデビュー
Image008.jpg
VO ゆめのしん EG イサオ EB ちゃぎ Dr 的場 (91年構成)

11月某日 文化祭 
本当はエックスがやりたかったのだが
譜面や技術が普及した今でこそ
普通にコピーやるプレイヤーも多いかもしれんが
当時はまだ
『あげな早や弾き誰が出来るか!!』
『あのツーバスは人間技じゃでけん』
てな具合でなかなかメンバーが見つからず
BOOWYのコピーバンドで参戦。
校内プレハブが練習場で授業が終わる前から
カッ飛んで入り浸った。
この頃からドラムには関心があり
メンバーが一服休憩中、
プレハブ内に残りDrを叩いて楽しんでいた


1992年 ANGEL BLOOD 加入
Image011.jpg
Vo ゆめのしん EG 暴 EB ちゃぎ Dr タカヨシ EG ユウジ (92年構成)


ANGELBLOODはしぇいむれすの前身BANDである。
VOしげ EG ゆうじ EB ちゃぎ Dr まとば
のリーダーのEBちゃぎを中心に四人で活動をしていたのだが
ゆめのしんがVOで加入後、しげはEGに転向のち脱退。
デートで度重なる遅刻を重ねていたEBちゃぎ
『オマエじゃリーダーは勤まらん』とリーダーに自ら志願。
更にはちゃぎの脱退を機にバンド名までソックリ変えてしまうという
まさしく戦国乱世の下克上乗っ取り状態であった。

エックスはツインギターが売りにも関わらずうちは一人、
当初はエフェクターを使ってユウジ一人でハモリをカバーしていた
そんな折、ユウジから『エックス弾けるギターの人がおる』
と聴かされ胸が弾むゆめのしん。
初代EG暴は最初加入する気はサラサラなかったのだが
ゆめのしんの働くガソリンスタンドにユウジと一緒に給油しに来たのが運のツキ。

『ガソリン満タン』
とぶきらぼうに
『あ、エックスのギター弾ける人ですか?
うち今ギター一人でこまっちょったんですよ』

対して超ハイテンションなゆめ
『ふ~ん。ガソリンレギュラーで満タンね』
とあくまでクールな

『やっぱエックスはツインやないと格好つかんですけん』
とまったく意に介さぬゆめ

『ふ~ん。時間無いけ、早く給油して。』
コメカミに怒りマークの

『ず~っとエックス弾けるEG探しよったけ
今日来てくれて嬉しいでたまらんですよ』
と全然空気読めないゆめ

『わかった!!わかった入る(加入)け、頼むけガソリン急いで入れて!!』
ゆめのしん満面の笑顔
『ハイ、レギュラー満タンですね!!ありがとうございます!』


こうして単に仕事前にガソリンを給油しにいったつもりが
オリジナルの作曲を一手に受けるコンポーザーから
デモテープやチラシのキャラクターデザインまで
その後約8年にも及ぶバンド活動にドップリ浸かる羽目になるのである。
これは狙ったわけでも意地悪したわけでもなく
ゆめのしんには大歓迎の気持ちしか心になく
が怒ってるのも眼中なかったし
怒りマークを込めた言葉もまったく耳に入ってなかった
最後の『加入する』と『ガソリン入れて』のみ
当時のゆめのしんの耳は聴き取れたのである
天然、恐るべし・・・

ちなみにしぇいむれすの名付け親は
当時ゆめのしんの付き合っていたリサ(ファン倶楽部恥団総会長)
が当時のメンバーたちの素行から命名したもので
直訳するとはじしらず、図々しいの意。



9月27日 中津POWER STATION
ゆめのしん加入後 初ライブ
今では恥かしげもなくニンニンなんてやっておりますが
いやはやこの時はお客さんの方を向いて歌うことが出来んかった。
なんで曲中もMC中も常に横顔(笑)
ある意味格好つけてるようにも見えるのだがシャイなあん畜生やったんですよ。
このシャイなボーカル君が
後に全国相手に一人で挑むことになるとは誰も想わなんだろう。


11月1日 中津港 PLAYER楽器店 みんなの音楽祭
まだミスター横顔君。
ちょっとナウくサイドフェイサーとでも呼んでおこう。
この頃まだバンドが沢山おったけん待ち時間の長いこと。
じっとしちょったら寒いけん
公園が近くにあったけ滑り台とか鉄棒でみんなで猿化して遊んだ


11月某日 築上北高等学校 文化祭

EGユウジの家にみんなで泊まり込み。
俺ハ喉のことを考えて早めに眠りたかったのだが
メンバー超ハイテンションで宴たけなわ。

結局騒ぎ疲れて全員イビキをかく頃
目が冴えて眠れなくなってしまったのだが
草木も眠るウシみつどき・・・
それは突然起こった。

眠るユウジの腰が突然高速ピストン運動。

カクカクカクカクカクカクカク

思わず目が点になりポルターガイスト!?
と想うくらいに不思議な現象でしばし呆然と見つめちょった。
相手もおらんのに・・・
一体どんな夢やったんやろ?


11月29日 POWER STATION
ゆめのしん のみ出演。
ライブハウスに遊びにいったらステージに
突然あげられてBOOWYを熱唱。
うちのお客さんも遊びに来てたんで拍手喝采。


12月13日 POWER STATION
1992年12月ゆめ&ユウジ
この頃になると丸出しになってくる
なにがって?勿論『バカ』ですよ。
メンバー全員揃ってバカ。マルコメの○出汁。
1992年12月ゆめ&ちゃぎ

12月27日 POWER STATION

1992年パワーステーションGIG


1993年~
1月17日 POWER STATION
1月31日 POWER STATION
2月14日 POWER STATION
1992年冬ANGELBLOOD


3月07日 POWER STATION
3月14日 POWER STATION
1993年1月17日パワーステーションGIG
4月11日 PLAYER楽器 リニューアルOPEN
記念ライブ 吉富フォーユー会館

EB ちゃぎ脱退 & ANGEL BLOOD 解散ライブ。
一応リーダー勤めただけあってムードメーカーで
『エックスも博多からメジャーになったけん
俺達も福岡からメジャーになろう』 
 
という大嘘を間に受け『おおお、Xは博多出身なんや!!』
と信じ、プロフィール見たら『おもいっきり千葉やんけ!!このタコ!!』
とメンバーからド突かれる。
この日で解散といいつつもバンド名変えるメドは
メンバー内ではスッカリ立っていた。
涙する本人とは裏腹にメンバー一同笑顔で送り出した。
そういうキャラなのだコヤツは。



1993年 しぇいむれす誕生
1993年TOP
Vo ゆめのしん EG 暴 EB イサオ DR タカヨシ EG ユウジ (93年構成)


6月20日XビルB1 しぇいむれす誕生ライブ
新ベース いさお加入。新といいつつも
入学初日からず~っとつるんできた悪友である。
一緒に停学喰らったり
夜遊びで締め出し喰らって神社の境内に停まったり(バチ辺りな若者である)
三年間クラスは違ったのだが常に一緒で
『どっちがどっちかわからんくなる』
と担任教師から間違えられるほど気の合う男であった。
一年の時から『X一緒にやろうや!!』と誘いつづけ
フラレ続けたがようやく夢叶ったカタチである。

肝心のライブの方はリハーサルの出来があまりに良過ぎて
本番前に飲みまくり
本番はまるで駄目
(まあそれでも本人達含め異様にハイテンションで大盛況やったが)
以来出番前は禁酒することを誓うのであった。

この日は初のオリジナルソング
『しぇいむれす』デビューでもあり
このライブの直前にNHK BSヤングバトル応募。

レコーディングの時にDrのタカヨシと衝突しあわや中止。 
締め切り前日ギリギリ間に合い
見事!!予選敗退・・・


8月1日(日) サマーホットGIG 吉冨フォーユー会館
1993年11月3日イサオ
メンバー全員でお揃いの特攻服を創り参戦。
遠くは大分、別府、更には東京の方からも観に来る騒ぎになった。
ビシッとキメるつもりがゆめのしんの社会の窓が全開バリバリで
ファンのコがコッソリ『チャック開いてるよ』と教えてくれたにも関わらず
『チャック全開だったぜぇ~』とマイクで公表し笑いを誘い
反省会で『リーダー、あれじゃコミックバンドやんか!!』と攻めたてられ懺悔。

8月25日(水)大分ドラムTOPs
出演 しぇいむれす スケアリー ドア-フ
地元を飛び出して遠征。
初ライブハウス。
地元から異様な出で立ちの援軍が駆けつけ
目立つのは目立ったしぇいむれす御一行

1993年大分にてファンの集い
なんせ初めてですから田舎もん丸出しで
ウロウロ、キョロキョロ。
見かねた店長から
『出演者があまりウロウロするんじゃない』
と怒られたり
その後、二回目の出演となった時のバンドの説明の下りには
【派手派手でドカドカ五月蝿いしぇいむれす】
と書かれるなどナカナカ コウ印象だったようだ(笑)

9月5日XビルB1 
ゆめのしんバースデーLIVE
『偶然ライブと誕生日が重なっっちまったぜぇ~』
などといいつつも下心みえみえでメンバーから指摘を喰らう


11月3日PLAYER楽器5周年記念ライブ

ゆめのしん初の司会者。
1993年11月3日司会極悪ブラザーズ
喋る内容を忘れないようにメモっていたのだが
字が汚すぎて読めない
というアクシデントに見舞われそのままネタにして
強引に笑いを誘う。
1993年11月3日字が読めないの図


11月某日 築上北高等学校文化祭
例によって前日からメンバー揃ってハイテンションのどんちゃん騒ぎ。
1993年11月学祭前夜祭

そしてまた例によって草木も眠るウシみつどき。
眠り損ねたゆめのしんの眼前で例の不思議な現象が起った


カクカクカクカクカクカクカクカク
とユウジの腰が再び高速ピストンを始めたのである。

今度は冷静にイサオを揺り起こす
『・・・は~ん?』と寝ぼけマナコで起きたイサオだが
『うお!?なんじゃコリャ!?』と仰天。
『これどげな夢みよるんやろ?』
『さあ・・・?』
呆然と見つめる二人であった。



はた迷惑にも建前上ANGEL BLOODを出演させて
しぇいむれすと二本立てライブ。
1993年11月学祭

最善列では長髪ねえちゃんズがヘッドバンキング。
みんなの文化祭で1時間以上演奏。 ほぼ占拠状態。
呆れる教師と生徒を尻目に
次の日 疲れ果てて爆睡するほど勝手に盛り上がった。
1993年11月学祭イサオ

本人達の中では過去最高の出来映えのライブとなったのであるが
こののちにゆめのしんとイサオの間にすれ違いが生じ
修正が出来ない状態になり素直に言葉を交わせぬ日が続き
こののち数日後
・・・EBイサオと校内で乱闘 EB イサオ脱退
バンド人生の中でも最も大きなショッキングな事件であった。

12月23日 吉富フォーユー会館PLAYER楽器クリスマスLIVE
EB イサオ脱退でベース不在なままライブ。
一旦解散という事になり
『俺達、クリスマスにめでたく解散だあ!!』
1993年ゆめゴジラ
と叫ぶゆめのしんの顔は笑ってなかった
年の瀬から新年にかけてメンバー内で会議が繰り返される。
(EG ユウジはこの日を境に脱退が決定)
『これまでの俺達の人気は決して俺達の実力ではなく
Xのおかげや。X離れせんと絶対上にはいけんき。』
というDrのタカヨシの一言でXのコピーバンドを
卒業しXの兄弟バンド、レディースルームのコピーバンドとして(ってオイ!!)
歩むことになる。
いきなり完全オリジナル化は無理やし色んなバンドをやって勉強しながら
オリジナルを創っていこうという形で意見がまとまった。

12月31日 ゆめのしん飛び入りLIVE
ベース不在なのでカウントダウンは断念ということになったのだが
コタツで正月を迎える気などサラサラなくLIVE会場へ。
案の定飛び入りを要求され参戦。
やはり会場には仲間が遊びに来てて楽しい年越しとなった。

次項、其の二、 混沌の刻へ進む
第一期≪創生≫TOPへ戻る
目次へ戻る





其の二、混沌の刻1994年~1995年

1994年~エックスのコピーからレディースルームのコピー
そしてオリジナルに移行

Image007.jpg
3月20日 ニュー泉
ニューベシストたかぼうを迎え新生しぇいむれすで臨む。
レディースルームをはじめ
洋楽のモトリークルー、SKID ROWなどの
バッドボーイズROCKに傾倒してた頃で
楽曲にその影響が出ちょる。
1994年3月20日すぷりんぐLIVE

5月3日 大分TOPs
なぜかウチはベースで苦労する傾向があるらしく
本番前に楽屋でEBたかぼうを巡ってゆめのしんとタカヨシが喧嘩。
レスラー並に逞しい暴の『こげな時に喧嘩してもしょうなかろうが!!』
一括仲裁でことなきを得たが
本人はシレっとしてた。
毎度のことながら無事本番は終了。
1994年5月3日大分TOPs

5月5日 POWER STATION
ゆめのしん風邪をひく
それまでバンド練習だけは休んだことが無かったが
大事をとって前日のリハで初黒星
・・・にも関わらず熱がひかず
点滴を打って参戦。
1994年5月5日馬鹿だから風邪ひいた男
EG暴から『コイツ馬鹿やけ風邪ひかんと思ったらひきよるけん。
そんで今日来んでいいのに点滴打ってきよるき。ホント馬鹿やろ?』
と愛情タップリの紹介を受けて客席から黄色い歓声を貰う。

1994年5月5日捕らわれの風邪ひき馬鹿
無事終わって大人しくするよう捕えられたサルの図↑

6月12日 中津XビルB1
三代目問題児ベーシストたかぼう君脱退。
作曲担当の暴の苦心の努力で
オリジナルが出揃ってきてこの頃から
しぇいむれすはコピーBANDからオリジナルBANDとなった。
しかし不安材料山積みであった。
1994年6月12日の馬鹿

7月4日 大分TOPs

覇叉羅 
出演 しぇいむれす 覇叉羅ほか 
夏の暑い日だった。
ライブ前からハイテンションで盛り上がりまくり。
当然本番もハイテンション、
覇叉羅の皆さんと意気投合。
『打ち上げいかねっスか?』
そして車も仲良くオーバーヒート
仕方無いので近所の駐車場に避難。
するとこわ~いお兄さんとオジサン達が現れて
『おめえら誰にココに断わって車停めちょんのじゃぁ』
と怒鳴られ慌てて車を押しがけで
避難。とこらがオートマ車なんで相当大変。
見かねたこわ~いオジサマ達は
『しょうがないのう、うちの車でチャージしちゃるわ』
と親切にちゃべ号を黄泉がえらせてくれたのである。

しかし喜びも束の間、相当バッテリーが弱ってるらしく
エンジンを切るとエンジンがかからなくなてしまう。
まさか真夜中の飲み屋街でエンジンかけたまま離れるなんて
危険な真似はできず
せっかくの楽しい打ち上げにもいけず途方に暮れてたところに
さきほどのこわ~いオジサン再び登場。
『にいちゃん困っちょるんならうちの駐車場停めてけや?
車はちゃんと面倒みちゃる』

なんとやさしいオジサマなんだろう

こうして無事打ち上げに参加。
ゆめのしんは寒いギャグを連発。
そのたびに覇叉羅のメンバーから『リーダー飲みが足んねえッスよ』
と飲まされるのであった


7月10日 中津Xビル
二代目超悪太郎ベーシスト イサオ復活
1994年6月高度なお馬鹿×3
↑必殺人間トーテムポール。
ストロング暴ならではの力技。
1994年6月馬鹿×3
スタジオ休憩中さらに疲れる遊びをする馬鹿者達の図。

8月7日 宇佐市七夕祭り
主催 宇佐市
タカヨシのコネだったか
良く行ってた飲み屋のね~ちゃんの紹介だったか
定かで無いが公共の祭りに参加。
イサオ ばっくれ

1994年8月宇佐七夕祭り
↑ライブ中は厳つい顔が多いが珍しくめちゃ笑顔の暴。

8月15日 大分TOPs

出演 しぇいむれす マリスミゼル
VOはガクトでは無かった。
前回の覇叉羅に続き人気も実力も桁違いのまさかの対バン。

二代目超悪太郎EBイサオが時間になっても現れないので
自宅に電話。弟が出て『お兄ちゃん友達とキャンプに出かけました』

・・・・・・・と言う事で
大物バンド相手にベース抜きのふざけたライブを敢行。
打ち上げで8人乗りワゴンに機材+12人の
超強引観光を敢行。

1994年8月大分港



9月25日 中津アート花館
POWER STATION GIG

1994年9月アート花館
今まではコピーだったため自分達に力は無くとも
そのバンドのブランド力で集客できたがオリジナルに移行すると
自分達を売り込んでいくしかない。
この頃から街頭チラシによる宣伝に力を注ぎ始めた。
ファンが作ってくれた手作りチラシ。
1994年ファンの手作りチラシ
そしてメンバー手作りのチラシ
1994年メンバー手作りチラシ
名付けて『しぇいむれすを有名にしちゃろうや計画』
をファンとメンバーで手分けして展開した。
ちなみに文字はゆめのしんが書こうとしたら
『オマエは字が汚いから書くな!!』
と満場一致で止められ字のキレイなタカヨシが書いた。

ちなみにゆめのしんが真心込めて作った手書きチラシ↓
落書きのような手作りチラシ
間違い無く3秒でクズカゴか迷惑物撒き散らし罪でお縄である



10月14日 大分TOPs
出演 しぇいむれす ジャンキーママ ほか
しぇいむれすを見兼ねたEB具茶が助っ人加入。
『お前等の根性ワシが叩きなおしてやる』
毒舌ぶりは右に出るものはおらず
口クセは『バカ野狼!!』
この口クセは関係者の間では流行語大賞ばりに流行った。
一見変態だが中身は超ド変態(アレ?)
『ワシは男も女も両方いけるぞ!!』
不良グループに数人がかりで襲われても
『なんだその殴り方は?奥歯の一本くらい折ってみろ!』
勿論音楽に関してもド変態級
音楽理論からプレイまで徹底してこだわってるのだ。
好き勝手やりたい放題やってきたしぇいむれすだが
この具茶の加入できつ~いお灸を据えられることになる。


11月15日 大分TOPs
出演 しぇいむれす ジェノサイド ほか
1994年MC中ポーズするおちゃめなタカヨシ
人がMCしてる最中にポーズ決めて写真撮影するお茶目なドラーマーの図。

11月18日 中津アート花館
POWER STATION GIG

出演 しぇいむれす レザー ほか
『コマした女は100人以上じゃえ』
自称遊び忍Drのタカヨシ脱退。
タカヨシは1992年の暮れエックスのドラムを叩ける男がいるらしいとの
情報を得て対バンとして出会ったのがはじまり。
4つくらいバンドを掛け持ちしていたが
ゆめのしんのラブコールを受けて最初ヘルパーで参加。
そして例によってゆめのしんの執拗な誘いで正式メンバーになるわけだが
レコーディングや練習、メンバーのことなど
活動の中で多分一番衝突したのがこのタカヨシである。
そして実は一番脱退と復活が多いのも彼である。
喧嘩しても次ぎに逢えば当然のように
普通に会話出来る不思議なオーラの持ち主なのだ。
ゆえにこの後もまた復活と脱退を繰り返すのであった。


12月31日 築城ウッドハウス

対バン レザーほか多数
具茶の加入により
『ぐっさん入るなら俺も手伝ってやる』
ターミネ-ターばりの肉体を持ちパワープレイから繊細な技巧プレイをこなす
ドラマーシンイチ助っ人加入。
とはいっても実は出会いはメンバーの中でもかなり古く
1992年の夏 二輪免許教習所で意気投合し
『バンドやるなら俺に言え!!手伝ってやるぞ』
ということで早速
92年の11月1日 中津港 PLAYER楽器店 みんなの音楽祭
以降タカヨシが参加するまでの期間
何度もドラムがいない時に叩いて貰ってたりする。
見かけは恐いが中身も恐い・・いや優しいお兄さんなのだ。

1995年 コピーでお勉強
1995年TOP
Vo ゆめのしん EG 暴 EB 具茶 DR シンイチ
2月14日 中津アート花館
POWER STATION GIG
一転してマイケルシェンカーやオジ-のコピーを
交えてオリジナル制作やアレンジに勤しむ。
まだこの頃はEG暴に作曲は任せきりで
作詞はゆめのしんが行っていたのだが
いかんせんセンスがなく日本語のままだと
かっこ悪いので英語教師(以外だが)でもある具茶に
英詩にして貰いよった。
ちなみにしぇいむれす
リサの『ゆめのしんたちの素行をそのままバンド名にして
はじしらずを英語にしたら・・・?』
というアイデアを受け
はじ=shame(シェイム)に
打ち消し系のLESS〔例:ワイヤレスなど〕をくっつけた具茶の造語で
当時和英辞典には掲載されていなかったのだが
最近調べたら
shameless〔シェイムレス〕
恥が無い 図々しい
として記載されてあった。

後から出来たのだろうか?
それともたまたま?


3月21日 中津アート花館
POWER STATION GIG

この頃
大工の棟梁の若頭として仕事が多忙になってきたシンイチの後任ドラマー
みや
新EGかずが加入している
スタジオで何度か合わせて本番に向けて団結を図ったが
みやはしぇいむれすのアニキ分バンドであるレザーに加入。
かずは単身赴任で名古屋に渡り金を稼ぎ後に20代後半でコンビニやカーショップ、バーなどを
経営するオ-ナーに成長する。
恐らく歴代しぇいむれすメンバーで一番の出世頭の男だ。
ちなみにEGユウジは借金作って港に沈められたとの噂があったが
全身刺青のトラック野朗やってるらしい。


8月27日 築城ウッドハウス
POWER STATION GIG

POWER ATATION店長 中山さん
通称ちゅうさんがこの日限りのヘルパーでDrを叩いてくれた。
客席からほろ酔い気分で野次が飛んだのだが
突如ステージ後方から『今言った奴誰かコラッあ!!ステージ出ろ』
と怒鳴り声。ちゅうさんであった。
場内は静まり返ったのは言うまでもない。


11月05日 中津レストハウス南山
POWER STATION GIG
ウッドハウスもステーキハウス
アート花館に至ってはお花屋さんである。
どこでもライブハウス化してしまうのが
POWER STATIONの中山さんの恐ろしい所である。

11月12日 小倉WOW
北九州小倉といえば九州の中核都市で
町のキャッチフレーズが

~教育薫る豊かな田園都市~

家の横も田んぼ
前も田んぼ
お祭タンボの
Uhoo~タンボウ
な環境で育ったゆめのしんたちにとって
大都会であった。
そげなこってこの日のライブは
大都会への第一歩 (BGM ♪大都会)
なのであった。

次項、其の三修業の刻へ進む

第一期≪創生≫TOPへ戻る
目次へ戻る

其の三、修業の刻1996年~1997年

1996年しぇいむれす三周年ドラム脱退
ドラム&ヴォーカルに転身

この頃になると仕事に専念したり
田舎を棄て都会進出するアーティストが増え
バンドは激減
衰退する中津の音楽シーンを活性化させようと
店長ちゅうさんは自ら鉢巻を締めカナズチを握り締め
POWER STATIONを大改造。
この年の夏スタジオから
ライブハウスパワーステーションに生まれ変わった。

1996年TOP
VO&Dr ゆめのしん EG 暴 EB 具茶 (しぇいむれす96構成)


1月31日 小倉WOW
Drのシンイチが家の跡取問題で活動限界に達し
大工の棟梁の道へ

5月5日谷川家(ゆめのしんと暴の勤める会社の専務の息子さんの結婚式
なんせこまい時からちっともじっとしちょらん子供で
ハイハイの頃から両親が目を離した隙に
国道の真ん中で往生し車を停めたりトラックの下敷きになったり
ガケから落ちたり井戸に落ちたり
ハラハラさせることも多く
隣のハゲ頭のおじさんが帰ってきた時には
『おとうさ~ん、はーツルキンカン(禿げ頭の意)
おいさんが帰ってきたよ~』
と大声で叫び
冷汗もんの両親と
隣近所に聴こえるほど自分のアタマを罵声され
車から降りるに降りれず肩身を狭くするおじさんの姿があった。
小学生のとき結婚した叔母さんの結婚式ときも
『粗相があってはイカン』と俺だけお留守番。

なので実は21歳にして初めての結婚式であったのだが
ミュージシャンらしく結婚祝いにバンド演奏を披露。
よっぽど嬉しかったのか専務も奥さんもフィーバーしまくってて
演奏中に『まあ飲め!!』と酒を盛んに注いでくれ
新郎が裸踊りしたりハチャメチャな結婚式であった。

8月23日 POWER STATION
しぇいむれす三周年記念ライブ
貸切2マンLIVE

しぇいむれす&
ANGEL BLOOD(一夜限りの復活)
で久しぶりにエックスのコピーをやる
タカヨシとちゃぎも復活。
しぇいむれすの方ではゆめのしんドラム&ヴォーカル デビュー。
初っ端から無謀にも
聖飢魔Ⅱや人間椅子、マイケルシェンカーなど
ドラムもヴォーカルもハードな楽曲を選んだため
仕事やりながら自主企画というのはナカナカ大変で
この日のために
仕事が終わってスタジオ営業時間内に
ANGEL BLOODとしぇいむれすの練習やミーティング。

そして自分の練習をする時間が足りないため
ちゅうさんに頼み込んで
スタジオ閉店後 スタジオに通って夜明けまで叩く日が続いた。

1996年しぇいむれす3周年記念の特訓風景
特訓風景。特訓にしてはいかにも楽しそうだが
その通りで楽しかったのだ。
12月15日POWER STATION
しぇいむれす兄妹BANDエクリプス誕生
VO悪女 EG 暴 EB シスター Dr ゆめのしん
黒夢とラルクのコピー。
VO悪女は女子ながらパンチの効いたハスキーボイスの持ち主で
目立ちたがりのゆめのしんがドラムに徹してもいいと思った。
EG 暴 EB シスター と絡むのも楽しく
益々ドラムにのめり込んで行くのであった。


12月29日 POWER STATION
POWER STATION GIG

12月31日 小倉WOWカウントダウンLIVE


幕が開いてビックリ。
場内を埋め尽くすくらいお客サンがいるはずが
2人くらいに見えたのであった。
1・2
何度数えても片手で余る。
『は?メンバーの方が多いんじゃね?』
Xのコピーやってたおかげで
デビューライブからそこそこFANがいて
その後遠方からも観に集まるようになり
オリジナルになってからもお客サンが来なかった事が無い
若き日のゆめのしん達にとって大打撃であった。

そしてこの日の悔しさをバネに
暴と話あった結果
翌年から修業に専念することを誓うのである


1997年 大分県中津市に松風幕府設立

(私設事務所で自宅兼のアパート)
Image010.jpg
Vo&Dr ゆめのしん EG 暴 EB 具茶 (しぇいむれす97構成)
写真は兄妹BANDエクリプスの面々。
EBシスター Vo 悪女 EG 暴 Dr ゆめのしん
昨年暮れの誓いを胸にゆめのしんは気持ちも新たに髪をバッサリ。
アーティスト、
バンド数は相変わらず減少の一途を辿るが
移りゆく時の流れに取り残されつつも
ド方と飲み屋のバイトかけもちでバンドも掛け持ち
平均睡眠3時間
運転しながらご飯食べたり着替えたり(ズボンも靴下もね)
の生活を送っていたゆめのしんは気付く余裕もなく
車のローンを完済し
実家を出て牙城を築く(要は一人暮らしでござる)
夢の中に活きていた。

08月31日 POWER STATION

しぇいむれす&エクリプス 2マン 
1997年8月エクリプス



12月31日 POWER STATIONカウントダウンLIVE
エクリプス解散
1997年12月エクリプス
悪女とシスター
別の道をすすむことに。
解散の理由は忘れてしまったが
シスターは実は暴の実妹であるし
悪女もゆめのしんや暴にとって妹のような存在
(当人はお兄ちゃんとは思ってないと思うが)
喧嘩別れでないことは確か。
その後二人とも結婚して今では幸せな家庭を築いちょる。


次項 奮起の刻1998年へ進む
第一期≪創生≫TOPへ戻る
目次へ戻る


其の四、奮起の刻

1998年しぇいむれす五周年
サポートEB具茶脱退して二人に・・・

1998年TOP
昨年目標を達成し念願の牙城(1ルームアパート)を手に入れ一人暮らし。
自炊生活が始るわけだが
当時は
調味料=栄養素

摂取すればするほど体に良い

というとんでもない勘違いをしていたため
豚汁を作れば醤油と味噌を大量投入し
具の豚肉やジャガイモがずんでおり
新居祝いに遊びに来た暴に厚意で振る舞うも
『・・・・・いらん。ちゅうか
お前こんなん喰いよったらガンか糖尿病になるぞ?』

と言われ少しだけ賢くなったのであった。
また牙城を手にし勢力的に広報に力を入れ出したのも
この頃で自作チラシを配りまくり
近所の本屋や楽器屋に貼ってもらい
これまた自作の画用紙で作ったチケット(ゴミ同然)を
駅前や商店街を歩く人、ショップに買い物に訪れたお客さん
挙句の果てには店内で売り歩き
甲賀忍者ならぬ公害忍者で逮捕されなかったのは奇跡である。


Vo&Dr ゆめのしん EG 暴 EB 具茶 (しぇいむれす98構成)
しぇいむれす98
の三人編成時はよく『よ!!CCB!!』とからかわれた^-^

5月10日 POWER STATION
1998年しぇいむれす5周年記念


8月01日 しぇいむれす五周年記念LIVE
貸切2マンLIVE
1998年ゆめ暴
ANGEL BLOOD(一夜限りのはずが・・またもや復活)
しぇいむれす二本立て
でこれまた久しぶりにエックスのコピーをやる。
1998年ドラムボーカルゆめ
この日を境にドラムヴォーカルからヴォーカルのみに戻る

10月24日 POWER STATION
この頃ゆめのしんはQY70を入手。
音楽理論もまったくない感情の趣くままに作曲。
現実には有り得ないコード進行や運指多発。
前途多難ではあったが打ち込みを使用した体制に移行する。

『打ち込みとなんかやってらんねえ』とこの日で
サーポートEB具茶、脱退。

1998年ゆめ&具茶

12月12日 POWER STATION
CCBからBZへ(笑)
遂に二人。
12月31日 POWER STATIONカウントダウンLIVE 



1999年 暴 結婚
1999年TOP
Vo ゆめのしん EG 暴 (しぇいむれす99構成)


4月11日 暴&めいや 結婚式 中津
ゆめのしんはこの日暴に捧げるウェディングソング
永獲んに輝けを披露。
次々に襲いくる酌を『出番前なんで!!』
居並ぶ豪勢な料理も一切手をつけず
友へ捧げる曲のその瞬間に総てを集中。


結果は拍手喝采の大成功。


披露宴のときは緊張感先立って我慢していたのだが
二次会では友の門出にゆめのしんも感極まって目頭熱く止め処なく涙が溢れ
暴も顔は涙でクシャクシャ。
専務も奥さんも会社のオッサンも貰い泣き
めでたき日にみんなでワ~ワ~泣いたのであった

ちなみに暴はこの際
『お前、俺をこんな泣かせて覚えちょけよ
オマエんときゃ倍にして返しちゃるけんの』
といわれたが10年以上経って未だ勝ち逃げ(笑)


8月21日 
8月22日POWER STATION 10周年記念
 
レストハウス南山 野外特設ステージ
なんとこの日最初で最後
ギター弾きバージョンゆめのしん
ワイルドで行こうを披露。
1999年ギターボーカルゆめ

暴に『そこ、コード違う!!』扱かれながらも
練習してきたがなんとか無事成功。

1999年8月GIGゆめ

この日お披露目の暴の渾身の力作
ハードで熱いメタルソングが
完成してみれば【ち~ずば~が~♪】
1999年8月GIG暴

『オマエのアタマの中はどげなっちょんのんか!!
頼むき、もっとカッコいい詞にしてくり!!』

と嘆く暴であったが
ゆめのしんのファーストインスプレーションは
当時大好物であった【ち~ずば~が~】しか思いつかず
最後には『オマエに作詞を任せたのが間違いやった・・』
と折れる


12月05日 大分フォーラス バンドパラダイスVol2
暫らく地元ばっかりやったんで
久々の遠征。
手土産代わりにデモテープを無料配布。 

BOW制作デモジャケット 
パッケージも暴の書いた漫画家も顔負けの
プレミアもんの可愛いらしいキャラをあしらった力作であったが

だ~れも貰ってくれない

逆切れしたゆめのしんは
『誰がやるか!!』
二度と絶対タダで配布をしない事を誓うのであった。

そしてイキナリ飛躍し
ファーストアルバムの制作に取り掛かるのである


12月19日 大分フォーラス バンドパラダイスVol3


12月31日~1月3日 綱式天満宮ストリートLIVE

2000年を迎えるこの年に限ってそれまで行われていたカウントダウンが中止・・
『しょうがねえよ、ミレニアムくらいゆっくり迎えようや』
と団欒モードの暴。
しかし諦めの悪いゆめのしんは
『ミレにアムは絶対LIVEで迎えるんじゃ!!』と準備もドタバタに
家庭コンポとQY70とカラオケマイクで神社に押しかけ単独ストリート。
持ち曲3曲で六回×3日の18公演。 

こうして
短くも長い第一期のしぇいむれす7年戦争
ミレ二アムを迎え
更なる動乱の第二期へと移り変わってゆく


次項 博多名物しぇいむれす第二期≪動乱≫へ進む 
第一期のTOPへ戻る

目次に戻る

| ホーム |


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。